18歳で織田家の家督を継いだ信長は、21歳で本拠地を清州城に移し、ここから「桶狭間の戦い」に出陣、天下取りの道を歩み出します。また、本能寺の変で信長が死した後、羽柴秀吉(豊臣秀吉)、柴田勝家らが、誰が信長の跡を継ぐのか話し合った「清須会議」の舞台にもなっています。
現在は、天守閣や赤い欄干が特徴の大手橋などが再建されています。隣接する清須公園には桶狭間の戦いに出陣する信長とそれを見送る妻・濃姫の像があり、夫婦円満・立身出世の願掛けに訪れる人もいるそうです。
織田信長といえば、「大うつけ(大馬鹿者)」と呼ばれたり、改革者としての冷酷なイメージがあります。しかし、当時来日していた宣教師や家臣の著書によると、意外なエピソードがあります。宣教師や各武将の使者を招いた際は、豪華な料理でもてなすだけでなく、自ら果物やおかわりのご飯を給仕したといわれています。また、後に安土城を築城した時は、一般の人々に入場料を取って見学を許したそうです。なんとその入場料を徴収する役目を自ら行ったとか。自ら客をもてなし、喜んでもらうのが好きだったのかもしれません。
独特な食文化を持つ名古屋。きしめん、天むす、味噌カツ・・・とバラエティに富んでいますが、名古屋を代表的するB級グルメとしてあげられるのが「あんかけスパゲティ」です。太めのスパゲティに野菜や肉をトッピング、トマトベースの甘酸っぱいあんをかけていただきます。ボリュームのあるトッピングも特徴のひとつ。野菜トッピングが「カントリー」、ソーセージなど肉類のトッピングが「ミラネーゼ」、野菜と肉の両方がトッピングされているのが「ミラカン」と呼ばれています。その他、チーズや目玉焼き、えびフライ、豚肉のピカタなど、店によってさまざまなアレンジが楽しめます。
対するうどん丸は、天津麺風うどんで勝負!うどんの上に長ねぎ、しいたけ、たけのこ、カニなどの具が入った卵焼きをのせ、甘酢あんをたっぷりかけました。天津麺、実は本場・中国にはないメニューだそう。元になったといわれる中国料理の芙蓉蟹(フーヨーハイ)はカニ肉や野菜などを卵の白身でとじたもの。卵の白身が芙蓉の花のように見えることからその名がつきました。また麺やご飯の上にはのせずにいただきます。日本に渡ってから、作りやすく親しみやすい今の天津麺になりました。