「ニュピ」は、インドネシア・バリ島で信仰されているヒンドゥー教の暦「サカ暦」のお正月の行事です。毎年3月頃にあたり、2018年は3月17日、2017年は3月28日、2016年は3月9日でした。ニュピは別名「静寂の日」とも呼ばれています。さてどんなお正月の迎え方をしているのでしょう。
ニュピの行事は数日前の「ムラスティ」から始まります。各村の寺院に安置されているご神体を、正装した村人達がお神輿や頭上にのせて隊列を作り、海や川、湖などに運んでお清めします。
ニュピの前日に行われるのが「オゴオゴ」。この日は月が隠れる日とされ、冥界のヤマ神が大掃除をするので、悪霊が地上に出てきてしまうとか。悪霊は大きな音が苦手だとされているため、村人達は鍋や釜を打ち鳴らして家に入り込んだ悪霊を追い出します。夜になると、インドネシアの民族音楽ガムランが鳴り響く中、地区ごとに作られたオゴオゴと呼ばれる悪魔や鬼をかたどった人形が登場、夜遅くまで村を練り歩きます。オゴオゴはなんとも不気味な顔をしていますが、とても躍動的!オゴオゴには悪霊が乗り移るといわれているので、最後に燃やして海に流し1年間の無病息災を祈ります。
夜が明けたニュピ当日、一転してバリ島は静寂に包まれます。翌日の夜明けまでは「外出をしない」「仕事をしない」「火や電気を使わない」「殺生をしない」という決まりがあり、ヒンドゥー教徒だけでなく異教徒、外国人、観光客でさえも従わなければいけません。外出はもちろん、レストランや商店等の営業も禁止、航空機の発着や交通も制限されます。ヒンドゥー教徒は終日瞑想してバリ島から悪霊が去るのを待ち、観光客はホテルの中で過ごさなければいけません。少々の不自由さはありますが、静寂の中、鳥のさえずりや風の音など自然を感じることができる貴重な日です。夜は島中の灯りが消えているので美しい星空を観ることができます。
出典:外務省ホームページ
(https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/asia.html)を加工して作成
インドネシアを代表する料理「ミーゴレン」。「ミー=麺」+「ゴレン=揚げる・炒める」、つまりインドネシア風の焼きそばです。レストランだけでなくワルン(食堂)や屋台でも人気のメニューです。日本の焼きそばに比べると甘辛いのが特徴。その味の秘密は「ケチャップ・マニス」と「サンバル」という調味料にあります。
ケチャップ・マニスは大豆等から作る甘くてねっとりした調味料。調理中に使うだけでなく、食べるときに辛味を和らげたい時などに使用します。サンバルは、唐辛子をはじめとした香辛料に「トラシ」というえびを発酵させたものを合わせたピリ辛の調味料。こちらも調理中だけでなくお好みでかけて辛味を加えます。
また、麺はやや太めでもっちりした中華麺。スーパーなどでは乾麺が売られています。
ミーゴレンの後に続く言葉は具材。「ミーゴレン・アヤム」は鶏肉、「ミーゴレン・ウダン」はえび、「ミーゴレン・シーフード」はシーフードが入ったミーゴレンです。
今回は日本でも手に入りやすいトマトケチャップ、コチュジャン、オイスターソース、ナンプラーなどで代用しました。甘辛いソースともちもちした冷凍「さぬきうどん」の食感がマッチして、中華麺とはまた違ったおいしさが味わえます。
「祇園祭」は、京都・八坂神社の祭礼で、毎年7月1日から31日までの1ヶ月に渡って行われています。その歴史の長さ、規模の大きさ、山鉾の豪華さで知られ、大阪の天神祭、東京の神田祭とともに日本三大祭のひとつに挙げられています。また、2009年にはユネスコの無形文化遺産に登録されました。
祇園祭の歴史は今から1100年以上前の平安時代の初めにまでさかのぼるそう。869年、京の都をはじめ全国で疫病が流行し死者が多数出ました。そこで行われたのが疫病退散を祈願した「祇園御霊会」。当時の国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を祓い清めました。この御霊会は疫病が流行するたびに行われましたが、970年からは毎年行われるようになります。
室町時代には、町衆と呼ばれる豊かな商工人が町ごとに山鉾を作り、巡行する現在に近い形になっていきました。桃山時代から江戸時代には、山鉾はさらに豪華絢爛になります。中国、インド、ペルシャなどから輸入されたタペストリーや西陣織などの織物、優れた彫刻や金細工などで美しく飾られた山鉾は、今では「動く美術館」とも言われているとか。
祇園祭の見どころといえば、山鉾巡行とその前3日間に行われる宵山でしょう。山鉾巡行は7月17日の前祭(さきまつり)、7月24日の後祭(あとまつり)の2日間行われます。
7月14日から16日、日が落ちると山鉾の提灯に灯りがともされ、祇園囃子いわゆる「コンチキチン」が流れ、祭の風情を感じることができます。7月17日は前祭。先頭で稚児が注連縄(しめなわ)を刀で切り山鉾巡行が始まります。祇園囃子が響く中、山鉾は京都の街を練り歩き穢れ(けがれ)を払います。これは八坂神社の3基の神輿を街に迎えるためのもの。山鉾は大きなもので高さが約25m、重さ約12tもあり、大通りを方向転換する「辻回し」はとても豪快!7月24日の後祭の巡行で再度穢れを払い、神輿を神社にお返しします。
その他にも、神輿を鴨川の水で洗い清める「神輿洗」、芸妓・舞妓、祇園囃子、稚児などの行列が町を練り歩く「花傘巡行」など様々な行事が1ヶ月にも及んで行われるのです。
京都には「京野菜」と呼ばれる伝統的な野菜が多く栽培されています。都である京都には人々の往来に伴い、全国各地から優れた品質の野菜が集まっていました。こうした野菜が茶道の懐石料理、寺院の精進料理、庶民のおばんざいなどの京の食文化とともに発展し、今日の京野菜となったのです。
九条ねぎの栽培の始まりは、今から約1300年も前の和銅4年(711年)、伏見稲荷大社の建立時までさかのぼるそうで、京野菜の中でも最も古い栽培の歴史を持っているとか。
京の都の南部に位置する九条付近には野菜の栽培に適した土壌があり、この九条付近で栽培されていた品質の良いねぎを「九条ねぎ」と名付けたのです。
やわらかく甘みのある緑の葉の中にぬめりがあります。これは糖分がゼリー状となって蓄積したもの。寒さが厳しくなり霜が降りるとぬめりが多くなり、さらに甘味が増します。
たっぷりの九条ねぎをのせた「ねぎまみれ鍋うどん」。具材は豚肉と九条ねぎだけというシンプルさですが、煮込んだ「丹念仕込み 本場さぬきうどん」に具材の旨みがしっかりしみこみ、定番にしたくなるおいしさです。